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子どもが学校に行けない時 我が家の場合

長男が全く学校に行けなくなったのは、

中学1年の夏からでした。

小学5年の半ば辺りから、

時折休みがちになることもありましたが、

少年野球も最後までやり通していました。

4月からサッカー部に入部し、

7月の中体連が終わった間もなく、

久しぶりに喘息の発作が出たのが

きっかけでした。

夜眠れない日々が続き、

8月の半ばには、完全に昼夜逆転。

夏休みの宿題も、ほとんど手をつけることが出来ず

8月の末を迎えました。

体調を整えることを最優先することを

親子で話し合い、9月から欠席。

思春期の不安定な時期とも重なり、

イライラが募る日々が続きました。

長男には、私の鬱のことでそれまで

かなりの心配をかけてしまいました。

そういうことも、少なからず影響していた

のだろうと思います。

「全治◎ヶ月」と言って貰える骨折などのケガと違い、

こういう心の病は、いつ完治するのか、

誰にも分かりません。

本人も、家族も、深い霧の中を彷徨い

出口が見えない不安に苛まれる

そんな日々が続きました。

その時の唯一の希望の光は、

スクールカウンセラーとして

何度も話を聴いて頂いていた

ブロッコリー先生こと、

吉村先生の言葉。

「今は、完全なガス欠状態だけれど、

しっかり休養すれば、自ずとエネルギーが

蓄えられて自分の力で飛べるようになります。

それを信じて、見守ってあげて下さい。」

周囲がどんなに焦っても、

本人がその気にならない限り、

この子の未来への扉を開くことは出来ない。

本人の持っている力を信じて、

待つことを続けました。

そして、中学2年の2月。

本人が、住所を私の実家に移して

祖父と祖母の家から、私の母校に通ってみたい。

という言葉を発してくれました。

中3の4月から、佐賀市立成章中学校での

生活がスタート。

同級生も温かく迎え入れてくれ、

順調に登校していました。

程なくして、再びサッカー部へ入部。

体調面が心配でしたが、

本人の自己選択を尊重し、

送迎・応援などのサポートをすることに。

中体連までのサッカーに注ぎ込むエネルギーは、

これまでの鬱憤を晴らすかのように感じられました。

そして、8月。

再び、喘息の発作が出始めて、昼夜逆転に。

9月からは、長期欠席することになりました。

進学よりも、本人の体調を戻すことを優先に考えて

サポートを続けていましたが、

担任の先生から教えて頂いた、佐賀星生学園の話を

本人にしたところ、見学に行きたいとの言葉。

佐賀星生学園は、不登校・発達障害のために

学校に行きづらさを感じる生徒をサポートする

出来て2年目の学校でした。

オープンキャンパスで語ってくれた一期生の

自らの体験。本人にとっても、親にとっても、

希望の光が見えた瞬間でした。

そして、入学。

お互いに励まし合い、刺激し合える仲間と出会い、

高校生活を送ることが出来ました。

その後、福岡の大学編入試験に特化したコースがある

専門学校へ入学。

福岡市内で一人暮らしをしながら、遅れていた勉強にも

意欲的に取り組んでいたようです。

そして今は、北九州市立大学の経済学部で、

部活・バイトをしながら、キャンパスライフを

楽しんでいます。

その彼が、最近私に言った言葉です。

「あの頃、お父さん達が無理矢理学校に行かせようとせず、
 見守ってくれていたのは、ありがたかった。
 でも、もう少し早く立ち直るきっかけがあり、
 動き出していれば、違った進路を選択できたかも
 しれないと思う時がある。」

それを聞いたとき、とても複雑な心境になりました。

それでも、あの時は彼が動き出すのを信じて待つのが
正解だったと、今でも私は思っています。

彼が親の立場になった時、
あの頃を振り返って、どう思うか?
時の経過を待ちたいと思います。

子育てに、正解は無いのかも知れませんね。

長文になりました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。